Life hospitality management service 代表の山アあおいといいます。
私は、男の子として生まれて来ましたが、現在“女性”として人生を歩んでいます。やっと世間に知られた『性同一性障害』を持っています。
幼少時から自らの性に違和感が有りました。幼稚園に入園した時、男の子と女の子の制服が区別され女の子の制服が着れない、そして思想行動が女の子と同じでイジメに遭い、自分の思想行動がおかしいのでは?と思い両親も言えない迷惑かけてはいけないと思い我慢した学生生活でした。
高校進学時、男性が多い工業高校に行けば自分の女性としての気持ちが男性の気持ちになるのではないかと思い高校生活を歩んだが、心は女性のままでした。
高校を卒業後、建設業界に入社。建設関係の会社に就職すれば、男性の職に従事すれば女性としての気持ちがなくなり、男性の気持ちになるのではないかと考えていたが、仕事の遣り甲斐を強く感じ、それは押さえつけるだけで女性としての気持ちはなくならなった。
入社後、15年目に女性と結婚すれば男性としての気持ち役割が自覚するのでは?と思い結婚。 しかし、3か月で離婚。それと同時に仕事の壁にぶつかり自分自身が嫌になり幾度も自殺願望強まり自殺を試みるが自殺が出来ない状態でした。
15年働いた会社を退職。うつ病になり2年間引きこもり生活が続きました。
インターネットで知り合った関東在住の女性と知り合い、心が女性の自分が本当の自分、その女性のお蔭で私自身を気づかせて頂きました。
その後、今までの辛い自分がなくなり、本当の自分の女性の気持ちのまま化粧をして女性の服を着て生まれつきの女性と同じように生活をしてから、自分の人生がこんなに幸せを感じたのが男性時代ではありませんでした。
仕事も女性として働きたい本当の自分の姿で就労をしたい気持ちが高ぶり、2006年末頃に開始。2007年に岡山大学病院ジェンダークリニックを受診、その翌年5月に性同一性障害の診断を受けたが、戸籍上の名前が男性名で有る為、面接時に門前払いや趣味の延長で就活していると勘違いされ、面接もして頂けなく帰り道に幾度も悔し涙を流した事もありました。
その時に、社会は表面で判断される事を身に沁み、折角親に付けて頂けた名前を女性らしい名前に変更しなければならないことを決意し、親にカミングアウトし頭を下げ承諾を貰い、2009年11月家庭裁判所で『あおい』の名前を改名しました。
改名後、今まで門前払いだった面接のオファーが沢山有り、改名前ではなかった面接の対応でした。名前はその人の鏡と言いますが就職活動での面接でひしひしと感じ、社会は名前で判断される事が証明された。
しかし、戸籍上の性別が男性であるがゆえ、企業にとっては前例がない雇用なのでどのように接したら良いのかわからない事が有り採用が至らない状態が続きました。それでも性同一性障害を理解し女性として数社採用されました。採用後、解雇されたり・廃業になったり・犯罪を犯している業務だったりで継続して就労できる雇用が出来ない状態でした。
約10年間、女性として生活・就職活動の経験を踏まえ社会の壁や荒波にもまれ、辛さ・痛み・苦しみ・怒り・喜びを感じ、人として人間として成長させて頂きました。お金では買えない貴重な経験は私の財産であります。男性としての人生・女性としての人生の経験を活かしたく、事業を立ち上げました。
この世に生まれて全ての皆様が幸せに生きる権利があります。性別・年齢・国籍・社会環境・生活環境・地位・あらゆる障害を持っていても幸せな人生を送り生きてて良かったと思える事業を目指して行きます。
代表 山アあおい Aoi yamazaki